戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

まるでお引っ越し

いつもはお線香をあげてからしばらくのんびりと隣で寛いでいる夫が、

昨日雨戸を閉めに行った時に早めに戻ってきていた。

 

今日は昨日のレッスンが今日になったので、朝はとっとと開けてきただけだったけれど。

 

ちょっと隣の玄関を開けたら、昨日片付けた義ママンの靴でいっぱいのゴミ袋を改めて目にしてウンザリ。

2階に上がって、色々と出してあるものにウンザリ。

兎も角、出しておかないと義妹が来た時に見てもらえない。

 

捨てるものと、古着回収があるのでそれに持っていく袋、なんだか判断がつかないから義妹に見て欲しいもの。

お高そうなシーツとかね。

 

そういうものが沢山ある置かれているから寛げないよね。

 

 

多分義妹は着物と食器だけ見るつもりだと思うけれど。

一応見て、要らないと言ってくれないとね。傘は欲しいと言っていたものは先日義妹のところに持って行ったから多分要らないのだろう。

義妹には色々見てくださいとはLINEしてあるけれど。まさかこんな惨状になっているとは思うまい。

 

 

 

まるで此処の家から引っ越すみたいな感じになっている。

 

 

 

 

今日は今の所はギジからの電話はない。

 

頼むから夫のスマホにしてくれ。

 

私には言わないで、夫に代われと言うからマシではあるけれど。

 

義ママンが亡くなってからはマジに日常のサポートは最低限のことしかしていなかったし、

サ高住に移ってからは病院の付き添いも私はしていない。

だから、多分恐らく、ギジの私に対する評価は昔のように

頼りにならない、何もできない嫁。

になっているのかもしれない。

 

それとも、嫁に何を言っても反対されるか怒られるから怖いのかww

 

今日の夜に電話があるかもしれないが。

 

 

昨日、夫と午前中に隣の片付けをして私が感じたことは、

義妹が2回ほど片付けに来ていたが、義ママンの半間ほどのクローゼットのような押入れの所だけしか片付けていなかったと言うこと。

(私は欲しいものだけ持って行ってくれたらあとは処分すると何度も言っているのだけれど。

捨ててくれとは言ってはいないのだけれどねぇ。)

 

それでもゴミ袋が4つだった。毎回2個だったから。

 

私がいたら欲しいものも持って行かれないんじゃないかと遠慮していたが、一緒にやった方が良かったのかな。

 

 

まだまだ捨てるものはたくさんある。薄くなっている古い布団やいかにも昔のものって感じの枕とか、

ベッド下の引き出し収納の中身も捨てなきゃいけないし、ギジはその半間の物入れの他にも廊下のクローゼットも使っていたから、

そこもしないといけない。(← 義ママンはコート類をしまうところがなかったようで、寝室にハンガーラックを置いてびっしり掛けてあった。)

 

ギジの衣類は結構サ高住に持って行ってはあるけれど、ブレザーやコート、背広や帽子がまだまだありそう。

箱が上の方にたくさん積まれている。

 

ギジが亡くなったわけではないけれど、収納するところも無くなるわけだし、サ高住に居てもこっち居ても、もうスーツやコートをそう何着も取っ替え引っ替え着ることもない。遠出は無理だ。

 

と、私は割り切っているけれど。夫や義妹にしたら処分するのは気が進まないのかもしれない。

 

仕立ての良いものばかりのようだけれど。

そんなことを言ったら、義ママンのものだってそうだ。

高そうなコートばかり。

 

 

隣のものをバンバン捨てていたらなんだか楽しくなってきたけれど、このモチベでこっちもできるかな。

 

いや、楽しく生活をするためにやらねばならぬのよね。

 

 

(施設を考える。という記事の続きもアップしたいのだけれど、それは多分明日かな。

 

と、自分にプレッシャー。)