戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

母からの電話

母から電話があって、Oちゃんの家の隣(認知症のお舅さんを施設に入れたら速攻リフォームをしたと彼女が揶揄していて、お嫁さんがセブンイレブンで買ったおでんを持ってきたと文句を言っていたあのお宅)のそのお舅さんが亡くなったそうだ。

 

「Oちゃん、お葬式に行ったんだって。」と、母が言うので、

『そりゃお隣だし、亡くなったと知らせれたら行くんじゃないの?』

自分は、ご近所に知らせないどころか、来た人に弔問もお香典も要りませんと門前払いをしたOちゃんだけれど、

亡くなりましたと言われたら行くだろう。

自分がお隣に知らせたのに無視されたなら行かなくたっていいだろうけれど。

弔問を断ったのはOちゃんの勝手だしね。

 

で、そのお隣のお舅さんの葬儀の時に、同じ住宅地のやはり古い知り合いの人からOちゃんは「お父さんとお母さんはお元気?」と聞かれ、

2人とも亡くなりましたと言ったらとっても驚かれたそうだ。

 

と、言うような内容やらあれやこれやを認めて母にメールを送ってきたそうだ。

 

「なんかね。色々書いてあんねん、ああでしたこうでしたって。せやけど。どんな返事したらええか分かれへんねんわ。」

『出来事を書いてるだけの日記みたいなもんやしね。』

「あんたが、もうそんなん返事はしてない時もあるって言うてたやん?私も返事せんといてもええよね。」

『せんでええよ。なんて返事していいのか分かれへんやん。』

「きっとな。Oちゃんは自分のお母さんに話してるみたいに書いてるだけみたいに思うわ。」

 

それは、言えてると私も思う。

 

こんなことがありました。あんなこともありました。私はこうしました。

 

報告だし、そんな報告されても困るし。

お母さんや上司や先生に提出する日記みたいなんだから。

 

 

それにしても、待っていた施設に入れることができて、半年も経たないうちに亡くなるって、

元気な認知症らしかったし、施設に入れなかったら私が変になりそうだったとそのお嫁さんがOちゃんに言っていたくらいだし

(Oちゃんは、家族がいるのになんでって思っていたけれど)

 

在宅介護が大変だったから最後の恩返し?じゃないけれど、早く逝きはったんかしら。

 

施設に入れたからって終わりじゃないんだもの。ホッとはしても終わりじゃない。

あれを持ってこいと本人が言うこともあれば、施設から言われる時もあるし、ギジみたいに病気になって外の病院に罹る時は

家族の付き添いがいるし。

勿論、費用だってかかる。その費用が本人の年金や蓄えで賄えたらいいけれど、そうじゃないとそれもまたとても負担が大きい。

それでも、在宅で看ることがどれだけ身体にも心にも負担になるか。

 

 

なんてねぇ。

 

ギジの事を思うとね。

 

サ高住に行って丸一年経つけれど、

まだまだ私ら色々と負担だもん。

 

 

 

 

 

母が言うには、Oちゃんは四十九日の法要をしていないとそうだ。

 

確か、彼女のところは宗派がちょっと変わっていたような気が・・。

 

母に宗派が違うからなんか違うんじゃないのと言ったら。

 

「四十九日はするよ。私の実家と一緒やし。」

 

えー。そうだったんだ。

 

知らんかった。

 

確かに、宗派の事もどんな段取りかも何もわからないとOちゃんは言っていたけれどねぇ。

まぁ、しなくても・・・ね。

 

ギジの所にも白木のお位牌あるしねぇ。(母には話していない)

義妹も本位牌も仏壇にあるのに、白木の位牌もあるって・・と、ビックリ仰天していたけれど。