戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

面倒くさい母

昨日ブログに書いたように母は米寿を迎える。

 

母は本来は12月27日がお誕生日。

 

でも昔は数え年。

 

数え年ってのは新年で1つ歳をとる。

そう、生まれた途端に1歳になる。

 

だから、12月の末に生まれた赤子は新生児なのに年明けにいきなり2歳になってしまう。

 

 

それでは不憫だからと元旦である1月1日に生まれた事にして届けを出すことが戦前はあったそうだ。

産婆さんがそう書いてくれたのかもしれないし、戦前は親が届けたらそれで済んだのかもしれないし。

出生証明書がどういうことになっていたのかは知らぬ。

 

で、私の母は戸籍上お誕生日は1月1日。

 

その母の米寿のお祝いの集まりが来年1月2日にある。

 

弟が場所の予約はしてくれた。

 

が、母に渡すプレゼントを考える暇がないから個々に渡すということで良いかと聞かれた。

 

それで良いよと返事をしたものの、さて何にしようかしらん。

 

 

 

実は、先日母と私らでランチをした時に、母と息子にというか、来られなかったお嫁ちゃんにと手土産を渡した。

 

アンテノールの「レーズンサンド」

 

母、ラムレーズンが大好物。

あとは栗とチョコレートとアップルパイ、

それから焼き菓子、クッキー。

 

こういうものを贈れば外さないw

 

亡くなった父も焼き菓子が好きだった。

 

ランチをした日の翌日に「あのラムレーズンのケーキ見たいなお菓子がとっても美味しかった。」と電話がかかってきた。

(ダックワースでラムレーズン入りのバタークリームが挟んである)

 

気に入ってくれて良かったと思っていたら、

翌日にメールで

「お母さんは、ラムレーズンが大好きです。」

 

・・・・あーー、また食べたいってことかw

 

だから、そのレーズンサンドの数の多い箱をまた買おうと思った。

日持ちはするから少しづつ食べたらよろし。

(あっという間に食べちゃうんだろうが・・・)

あとはブルトンヌのクッキー缶とか、ゴディバのチョコとかね。

 

一応、息子におばあちゃんの米寿のお祝いの品を我が家からということで買おうと思うけれど

何か案はあるかと聞いてみた。

 

息子「おばあちゃん、グランドゴルフが楽しいみたいだから、そういう道具とかは?」

 

なるほどーー。

 

と、思っていたところ、

 

母から「朝のラジオ体操の時も、ウォーキングの時も、グランドゴルフの時もその帽子をかぶって行くと暖かいです。

もう一つのはブカブカです。」とニットの帽子を被った自撮りを送ってきた。

 

そのニットの帽子は何年も前に私が編んだものである。

多分、頼まれたか、私が被って行ったのを母に取られたものだと思う。

 

これって、また編んで欲しいと暗に言っているんだろうと忖度する私。

 

レーズンサンドもそうだけれど、

また食べたいから買ってきてとか、帽子も編んで欲しいと言えばいいのに。

 

いや、いつもいつも私がこうやって気を回して動くからなんだよね。

 

ギジの時もそうだったけれどさ、

 

『これって〇〇して欲しいんだよね』と、動いちゃってギジに良いように使われて私がブチギレしたんだものね。

 

母には、前に私が被って行ったグレーの帽子をあげたことがある。

 

『グレーのもあったと思うけど。』と母に返事をしたところ

「あれはツバがないからダメです。」と返事が来た。

 

(被らないから返せってんだよ)

 

『あらそうなのね。つばのある帽子は編むのが難しいのよね〜〜。』と返事をして終わらせた。

 

編んであげると言ったって、まず毛糸を買う必要があるし、どんなのを編んだかも覚えていないし。

そもそもそんな暇がない。

 

編んであげなくちゃと前の私なら必死になっていたけれど・・・。

 

私は何か困ったと言われると、やらなきゃならない、なんとかしてあげないと・・・と、思ってしまう癖がある。

 

それで自分がしんどくなっちゃう。

 

だから極力、そういう気持ちが出てきたらブレーキをかけて自分ファーストで行くようにしているのだけれど。

 

これから先、自分が元気でいられる時間は限られていると思う。

 

それなのに親や他人のことで自分の時間を使ってしまうことはもったいないと思うようになった。

そういうお世話が好きならば良いけれど、

私がやってあげなくちゃと思う気持ちには、嫌だなぁ面倒くさいなぁ、やりたくないなぁ。がいつも入っているのだ。

 

例えば帽子も編んであげたいと思うのと、編んであげないといけないと思うのでは私にとっては雲泥の差である。

 

 

娘に「ママはずっと小さい時からそうやっておばあちゃんの事を考えて、どうしたら良いかって気を遣っていたんじゃないの?」と言われた。

母は別に私が気持ちを汲まないからと言って不機嫌になるとか怒るとかはない。

両親共にそんなことはなかったし、感謝の言葉はものすごく言う。

でも、知らず知らずのうちに私はそうやって行動していたのかもしれない。

確かに、母に言われたことを嫌だと言った後に自分がすごく嫌な気分になったことは何度もある。

(当の母は全く気にしているふうではなかったけれど)

 

ただ、母は人前で話して欲しくないことを本人の前で言うことが多い。

そんなこと話さないでと思うことを言うし、傷つくことも平気で言う。

 

父の方がそういうところは思いやりがあったなぁと思う。

 

 

話が脱線もいいところだけれど、

息子からグランドゴルフの道具と言われたことと、母が暗に帽子が欲しいと言ってきたと捉えた私は考えた。

(いやだって、あんな自撮りを送ってきてもう一つはブカブカだと言われたら、欲しいんだって思いません?)

 

あー、母がいうツバのついたニット帽なら良いんじゃないの?

 

そこで昨日、百貨店のゴルフ用品売り場に行って、ニットキャップでツバのついているデザインのものを購入した。

 

トップはキルティングだけれどね。

 

母がいつもゴルフで使っていたブランドだからいいんじゃないかと思う。

孫娘が一緒に選んでくれたと言えば喜ぶだろうし。

 

 

 

・・・レーズンサンドも買うけどさ。