戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

始まりは…義父の胆嚢炎

【忘備録】

義父には昔から(結婚式場決めのときから)色々と勝手なことをされてきましたが、振り回されるようになったのはこの時からかも。

 

【2018年9月】

 

義父は2013年に大腸癌の手術をしている。

そして、2017年には膀胱癌。

膀胱癌は再発しやすいとの事で、翌2月と9月にもO病院で手術をしている。

 

で、その9月。

膀胱の手術後退院して数日後。

朝、義母から電話。

夜中から義父がお腹が痛いと言っていると。

夫が隣に行った。何しろ退院してまだ数日。O病院の救急外来に電話をしたが断られたと言う。

何故だか私にはよくわからないけれど。時間が時間なわけで間もなく診療時間だったからか。

それで、義父のかかりつけの診療所に電話して診てもらうことにした。

車の運転は夫しかできないので夫は会社に遅刻すると連絡。

今思えば、義父が夜中に電話してくれれば救急外来受けて貰えたかも。

診断は「無石胆嚢炎」

エコーでは石が見えなかったと。

食事療法でと言われた。

ここの診療所。私達はかかっていない。私達は自宅から徒歩5分の別のクリニック。

ここは、徒歩15分位かかる。初めて行ったが医師が凄いお爺さん。

 

兎も角、食事療法。

動物性の物は駄目だと。

重湯だお粥だと。

 

直ぐに義妹にLINEした。

義母はなんだか物忘れが多いなぁという感じでまだ認知症の診断は受けていなかった。

が、数年前に階段でコケて腰を打ってから食事の支度を一切していない。

洗濯以外の家事は義父がやっていた。

義母はしていないというより、義父がさせなかった。(←これが良くなかったと私は思っている)

腰はもう痛くないのだけど。

この頃というかこれ以前から義母はいつも具合が悪いと言ってばかりだった。

ここの診療所でいいのかな?は、夫も私も疑問だった。

ネット情報を鵜呑みにするのもなんだが、どこを見ても胆嚢炎は点滴してエコーの他にCT検査と出ている。

診療所の医師は義父が膀胱癌で入院していた事も知っている。この場合、転院させないの?と。

私達の行っているクリニックに行くことは無理そうなのは解っていたので進言はしなかった。何しろ「あそこは年寄りを馬鹿にする」と言っていたから。

何を言われたのかは知らないが…。

そんなことはないのだけれどね。お年寄りも沢山来ているし、きちんと説明してくれるし。

…特別扱いしてくれなかったのかな。なんてねw

 

昼間は義妹が来てくれて夜の事も準備してくれたり、私がお粥や昆布出汁のスープ。義母のご飯を作って届けていた。

1週間後、良くなったと診療所の医師に言われた。

徐々に普通の食事に戻すようにと。

 

10月に入り、また数日後に同じ症状になった。

それでまた食事療法と言われた。

でも、コンソメとか言うんですジーサン医師。思わず「コンソメって動物性ですよね?」

なんだかなー。

チーズも食べていいって。へ?チーズ駄目でしょ?

食事療法でいいのかよ。

 

そして、義父がとうとう発熱した。

来ていた義妹と相談して、私達が行っているクリニックにかかってみるか聞いて、行くと言うなら連れて行こう。

 

義父も流石に辛かったのか行くと言うのでタクシーで連れて行った。

クリニックの医師に経緯を説明して診てもらった。

他に病気は?と医師に聞かれて義父がありませんとトンチキな事を言うので、膀胱癌で手術したばかりです!と。この期に及んでカッコつけんな。

 

確かにエコーでは石は見えない、でも、隠れている場合もあるし重篤です。

すぐ救急搬送しましょう。O病院には私から連絡しておきます。

あれよあれよというまに救急搬送。義妹が戻って義母に説明して入院の荷物を持ってくる。

救急車の付き添いは私になった。

救急搬送後、夫と娘に連絡。

夫は残業していたが片付けて直ぐに来るという。

 

医師に呼ばれるまで2時間以上待った。

やっと呼ばれ義妹と部屋に。点滴でもしてもらったのかスタスタ歩いて義父が通りかかって「よっ!」なんて手を上げてる。

 

はあ?なにあれ。

 

が、医師の説明はCTの結果やはり石があるわかった。緊急手術します。

とのこと。

それから義妹と沢山の書類にサインした。

術後の部屋はHCU。翌日に病棟が空けば移れるのでどの部屋が良いかも聞かれて、何時も差額の部屋なのでそこを希望しますとサインした。

 

夫も来た。

救急外来の手術の待合室で待機。

4時間位かかった。

夜中に終わった。

手術は成功して胆嚢摘出したが、胆嚢は腐ってボロボロになっていた。

 

HCUの父を見舞って私達は帰った。義妹は隣に泊まった。

 

そして、この日から義父に振り回され私がブチ切れる日々が始まった。

 

戦いの幕は切って落とされた。