戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

義母が亡くなりました

今朝5時半頃に電話画かかってきた。

出たのは夫。

 

『お義母さん?』

「うん、危ないって。」

 

そっか…。

 

まだ寝ていたのでボーっとしてた。

 

義妹に連絡をしてるのかと思ったら義父に連絡をしていた夫。

 

一緒に行くか聞いていた。

私にも言うので、何人行ってもいいの?と聞いたら、良いと。

 

だね。ジーサンの介護しなきゃか。

 

そして、義妹にも電話をした。

 

が、程なくしてまた電話があって。

 

亡くなったと。

 

兎も角、支度をして病院に向かおう。

 

雨戸を開けて、顔を洗って。

 

義妹にも間に合わなかった亡くなったと連絡をした。

 

義父には電話ではなくちゃんと言わないと。と、言っていたら義父が来た。

 

服装は白のポロシャツに短パン。

いや、危篤としてもその服装?

 

対応した夫が呆れて戻ってきた。

 

「やっぱり行くのやめるよ。元気な時の記憶でいたい。なんて言うんだぜ。

亡くなったよ。って言った!」

 

なんなんだよ。ほんと。

夫も、親父はなんで最期にひと目会いたいって思わないのかと。

ごめんね、私もそう思う。と言った。

 

今日は、ゴミの日なので、隣に行ってゴミは?と聞いたら

あ。といって持ってきた。

「お義父さん、着替えてね。」と言ったら

「ああ、色々世話になったな。」だって。

へ?

 

でも、また夫が行ったらまだ着替えてなくて…。

 

その間に、息子と実家の母に連絡。

息子に電話したら涙声だった。

父の時は電話したくなくて、LINEだったのよね。

 

義父、自分が着替えたらやってきて「行くぞ。」だってさ。

行けるか?とか、行こうでしょ?

運転は夫だよ?

 

 

道中、車中から私が義父の入っている互助会の葬儀会社に連絡。

 

何時頃に病院に迎えが行くか折り返し電話をするとのことで

電話をかけている私の電話番号を聞かれた。

答えられたよ!覚えてたよ!!

自分で驚いたよ。

 

朝なので高速も空いていて、早く着いた。

 

もうすぐ着く頃に義妹が間に合わないと。

 

何処に居るのか聞いたら、まだ姪っ子1号の家。

 

ありゃ。

 

聞けば、姪っ子1号がびっくりして泣いてしまって居たので様子を見ていたと。

仕方ないよね。

今から来ても入れ違いになってしまうので、待機してと伝えた。

 

 

霊安室に眠る義母は綺麗にお化粧して頂いていた。

 

手が浮腫んでパンパンになっていたし、

脚が曲がっていた。

 

でもね、

義父、義母に手を触れない。

私は顔を撫でたり頭を撫でたりしたけど。

 

義父、神妙に拝んでいたけど。

さっさと、自分で白い布を掛けちゃった。

 

迎えの霊柩車が来るまで、霊安室は寒かった。

 

お父さん寒くて参っちゃうから外で待つわ。と、上階の待合室に行ってしまった。

ま、寒いけどさ。寒いけど、一緒に居たくない?

 

何度も何度も、夫には最後は家に連れて帰りたいと言っていた義父。

 

車中でのやり取りで、葬儀会社から自宅に帰るか、それとも葬儀会社のセレモニーホールに安置するか聞かれたので、

意思確認をしたら「ホールで良い。」

 

そんなわけで、

ホールに向かうことになり義妹にもホールに向かうよう連絡。

 

セレモニーホールへ向かった。要するにUターン。

 

 

セレモニーホールには義妹が先に来ていた。

霊安室でまた対面。

 

義妹に促されてやっとというか義妹の真似をする感じで義母を触っていた。

名残惜しそうでも何でもない。

 

担当者と葬儀の打ち合わせ。

 

普通の通夜告別式をするコース

1日葬。

何もせず火葬。

義父、2日もするのは自分が大変だから1日葬で良いと。

 

義父がそれでいいなら良いけどね。

 

人数や祭壇の規模、

部屋の大きさ。

また、斎場での部屋のこと。

決めることはたくさん。

 

担当さんの話の途中でハイハイ言う義父(話をきけ!と何度も思った。義妹もそう思っていたw)

そのくせ、解ってない。

 

ハイお願いしますと言うので、それはどんな事をするのですか?と聞く役目がほぼ私。

 

義母の事を書く用紙があって、義母の両親の名前を書く欄。

夫も義妹も母方の祖父母の名前が解らない!!

 

義父に聞いたけれど義母の父親の名前が解らない。

母親は「フミ子」(仮名)だよと。

 

仕方ないので、従兄弟に夫が電話をして、事情を話して聞いてみた。

無事に解ったけれど、フミ子ではなく、フミだった。

 

書き直して置いていた。

 

暫くして義父がその用紙を手にして何か書いていた。

見たら「子」をまた書きたしている。

『子は要らないの!フミなんだって。』

なんで要らんことするかな。

夫が従兄弟とやり取りしたあとに、名前のことは話したよ?聞いてないのか忘れるのか。

またアプデされないでショートしてるのか。

 

葬儀は31日。

義父の入院手術はキャンセル。

 

落ち着いたら連絡をすることになった。

 

打ち合わせが終わった。

車に乗る前から、何処かでご飯食べようとばかり言う義父。

 

そりゃ、朝の5時半から何も食べてないけど。

お腹空いただろ!お腹空いただろ!って。

自分が食べたいんだよね?

夫も義妹もそう思ったと。

 

ファミレスに入った。

 

私達は日替わりランチ。

義父は決まらない。

何が食べたいの?と、聞いたらパスタだって。

 

じゃあ、こっちのメニュー。

 

で。

 

ビール飲もう!って。

 

はあ⁉️

 

夫に、お前ノンアル飲めよ。

 

夫「要らないよ。」

飲めない義妹にも聞く義父、首を振る義妹。

夫が私を見たので「飲みません。」

 

ビール?

そんなもん飲む気になりませんよ。

 

後で、夫に。

ほんと、ごめんやけどね、なんであそこで麦酒飲める?

ビール飲もうって何やのんって思ったと言ったら

「俺も驚いたよ。」

 

帰宅して、遺体に着せる服を義妹が選んでいたが、冬服。

しかも、普段着。

 

なんだかな。

いくらなんでも。

 

『ねぇ、ちょっとお洒落なワンピースとか着せてあげない?その方が良いと思うよ。私の父も普段期の作務衣より、お洒落な大島にしたよ。』

 

「あ、そうだね。」と、義妹が探してきた。

義妹もテンパってたのかも。

 

よく、夏にケアマネさん達が来るときに少しお洒落して着ていた花柄のワンピース。

これ、好きでよく着てたよね。

 

遺影をどれにするか話していたら、写真なら下にあるなどと言って、1階の和室の天袋を開けてアルバムを出そうとする義父。

危ないからやるよと義妹が言うのに出そうとして、雪崩。

 

でも、どれもとても古いアルバムで。義父のだよ。

 

お寺さんへのお布施。

お布施に、食餌代やお車代も入れるとか言うので、

全て別個で不祝儀の袋もそれぞれ葬儀会社から頂いている。と、話したよ。

いや、説明をうけたよね?

 

で。

お車代は10万などと言う義父。

 

は?

 

担当者からも、普通は1日1万円。1日葬ですし、少し遠いところからお2人いらっしゃるので3万円くらいですかね。と。

それを言ったら、気持ちの問題だ!!って。お布施だってかなりの額を出すのに。

だからって10万て。

夫も、「そんなにたくさん包むのは却って失礼だよ。」

思わず、

『九州や北海道から来るわけじゃありません。

お金のことはパパがきちんとやりますから!!』

私に被せるように

「判ったよ!!」

 

 

もう私も疲れ果てたので、

夕飯はほか弁を買うことにして買いに行こうとしていたら

義父から電話。

 

またお金のことかなと思ったら。

「一緒に酒飲みたいから来い。」

夫、

「今から買い物に行くから。」と、断ってた。

 

ま、飲むきにならないよね。

 

義母に献盃ならわかるけど、義母は呑めない人だったし、

誘い方も普通だったって。

 

何かが欠落してる?

 

ケアマネと義妹がまたもや色々やり取りをしたようで、

「お父様が気丈にされているので心配です。」って言われたと。

気丈っていうか、なんとも思ってないのかも。

昼間っからビールとか、夕方も飲むとか。

気丈に振る舞ってるとかいう範疇じゃねぇよ。

 

義母。

 

老衰だったのに、

死ぬときも義父の手術があるからと点滴で延命されて、

この人は死ぬときも義父の都合なんだ。

死ねないんだ可哀想にと思ってたけど。

最期の最期に仕返ししたのかな。

大反撃。

 

手術させてやるもんか!

あんたの良いようにさせないわよっ!!

 

って。

 

 

それにしても義父。

 

 

わたしはもう、疲労困憊。

 

昨日までのお洗濯もしてないし。

 

 

でもね。

父の四十九日は田舎に納骨に行くわよ。

 

 

息子。

夕方セレモニーホールに安置されている義母に面会してきたと。

 

ほんと優しい。

 

誰に似たんだろ。