戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

気が楽だとしみじみ思う

今日は夫は元々社休日なので朝はゆっくり。

 

娘は今日は午後から通所なのでゆっくり。

 

私はゴミ捨てやお洗濯があるから普通より少し遅く7時半ごろ起きた。

 

これが、

 

ギジが隣にいた頃は、ゴミの収集があれば夫が休暇だろうが祝日だろうが朝は6時半ごろには起きて、

ギジ宅の玄関を開けて、三和土に置いてあるゴミを回収して出さなかればいけなかったわけで、

それがなくなって、気が楽になった。

 

というか、その点は元の生活に戻ったわけだ。

 

ギジが起きてくるより前に起きて、ゴミを回収するのは、顔を合わせたくないことと、

まだ起きていないのかとかゴミを出していないと言われるのも思われるのも嫌だったからである。

 

そもそも、ギジが出すゴミなんて、大きいレジ袋1つ分でたいした重さだってないわけで、

ギジが持っていかれないわけじゃない。

ギジが買ってくる買い物の方がよっぽど重たい。

 

出しに行くのが面倒になったのだろう。

初めは出しておけとばかりに門の所に置いてあった。

そしてなし崩し的に私が出すことになってしまったのだ。

 

遅く起きようがゴミをいつだそうが、時間までに出せばいいことなのに、

ゴミ一つ取っても気を遣っていたのだ。

 

烏避けのネットをかけて、片付けるのも私だったし。ギジも義ママンも決してやらなかった。

 

ポストの中にチラシが入っていても、

郵便物や新聞だけ取って、チラシは取らなかった、そういうゴミは全部私が捨てていた。

 

たまたま、うちが郵便物や新聞を取るときにチラシが入っていたわけじゃない。

 

新聞や郵便をとりに来たら見えるから、ギジが選んで持って行った後に取りに行ったらチラシしかなかったなんて何度もあった。

 

チラシは取らずに残しているというのは日々の生活でわかるのだよ。そこまでボンヤリさんではない。

 

そんなね、不動産のチラシなんてうちだって必要ないじゃないの。

 

隣にギジも義ママンもいない。庭で用事をしていても覗かれない。

傘だって、広げて干しておいたらちょっとの間に畳まれてたとか、畳んでフェンスに掛けられていたなんてこともない。

そんなことを何度もされて、私はすっかり折り畳み傘を使うのが嫌になった。折り畳みの傘は広げないと干せないもの。

長傘は、仕方なく、畳んだ状態でフェンスに掛けていた。そのせいか、傘の骨のところから錆びて生地がダメになったことも何度かある。

なかなか乾かないもの。

 

隣は傘をどこに干していたって?

 

雨の日は出かけないし、新聞を取りに来た時に傘をさしたら、玄関の三和土に干していた。

 

勿論、今は傘は広げて干している。

 

 

 

隣の雨戸の開け閉めは面倒なことこの上ないけれど、

住んでいるのは私らだけだというこの解放感。

 

ゴミ捨てに関しては元の生活だけれども、いろいろな事で隣を気にしながら暮らさなくていいというこの気楽さ。

 

・・・要するにちょこちょこと意地悪をされていたのだけれどね。

 

そのくせ、こいつ使えると思われたら、やたらと依存されちゃったし。

 

 

 

 

夫はまた病院に行って、咳止めだけ出されたそうだ。

明日明後日は自宅待機=テレワークで、私はまた時間を睨んでお昼の支度をせねばならないし、夕飯の時間はいつになるやらである。

 

全く、いつもより余計な家事が増えるのだ。食費だってかかるわけだし。

テレワークで妻の負担ばかり増えているって何かにも出ていたよ?

 

 

それでも、テレワークを隣でやってくれるのはとても助かる。

 

解放感。半端ねぇ。