戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

施設を考える(私の周りの介護事情)3

 

yashahimeko.hatenablog.com

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今朝、義ママンの靴のゴミ袋3個+我が家のゴミ1袋を出しておいた。

無事に回収してくれた。

やはり2軒分の勘定なのだろう。

ギジの住民票はここのままだ。

 

夫は有料になってもいいからと言っていたからそこは良いのだけれど。

 

 

さて。

 

今回は実家の近くに住む友人のこと。

 

友人といっても彼女は私よりも2つ下。

 

社宅に住んでいた小学生の時からの付き合いで家族ぐるみというか幼馴染という感じ。

同じ大阪の出身である母親同士が仲が良かった。

 

父が亡くなった時もいち早く弔問に駆けつけてくれた。

 

社宅から分譲地に父が家を建てて引っ越した後に、彼女のお父さんもここに家を建てたというわけだ。

この分譲地は父たちの会社の関連会社の分譲地だったので、当初は皆そこの会社の人ばかり。

分譲地が社宅のようなものだった。

 

彼女には弟さんがいたが既に亡くなっている。

今はお父さんとお母さんと3人暮らし。彼女はコロナ禍からずっと在宅勤務である。

 

お父さんは認知症。90歳を超えている。

話によると、家では返事をするくらいで会話がないという。

デイサービスは週に2回。そのデイでは入浴をしないので、彼女が入浴の介助をしているという。

お母さんは大腿骨の骨折をして杖が手放せない生活だから、お父さんの入浴の介助はどうしても彼女になる。

お父さんがデイの時に母が請われてあちらにお邪魔したり、母のところにお母さんが来てお喋りをすることもあるが、

いつも、お父さんの愚痴ばかり。

言ってもできない、言うことをきかない。イライラする。

家にいられるのも困るから散歩してきなさいと外に出してもすぐに帰ってくる。などなど。

 

いやいや、認知症なら言われたこともできないし、言うことも聞かないよ。

1人で外に出していいのかとかツッコミどころは満載であるけれど、そうやって吐き出すことも大切なんだと思う。

 

そのお母さんに癌が見つかった。それも2つ。

 

彼女の話ではもうお母さんは高齢でもあるので、手術や積極的な治療は行わずに緩和ケアを在宅ですると言うことである。

 

母がそれを聞いて心配をして、また、彼女も来てほしいと言うので、話を聞きに行った。

 

「ちょっと会うてなかっただけやのに、大柄だった〇〇さんが、すっかり小さくなっててな。

〈もうほんまパパには頭にくるねん!〉て、あんなに愚痴っていたのにな、ほとんど物も言わへんねん。

私に向かってありがとうとか、あんた食べなあかんよ、って言うたら。ふんそうするわって返事するくらいやねん。」

 

 

 

私も、彼女には、おじさんのこともあるから1人で全部背負い込まないで、ケアマネさんや病院のソーシャルワーカーさんと相談して、

使えるサービスは使ってねとメールをした。

 

お父さんのデイを週3回にして、その日にお母さんの病院に行っていると言う。

 

その彼女からメールが来て、

「父のデイを増やしたけれど、デイサービスでは父は車椅子。うちでは転倒しても自分で起きなさいとほったらかしにしているのに。」

 

それは、施設では転倒によって怪我をされたり頭でも打って大変なことになったら困るけれど、ずっとついていられないから車椅子になるんだと思うよと返事はした。

 

転んでも放置ってどうよ。とは思うけどそれは言わなかった。

以前も、

「父が転んだ音がしたけれど放置していて、暫くして見に行ったらおでこを切って血の海で救急車を呼んだ。私はNHKで救急車の呼び方を見ていたからすんなり呼べた。」と番組のリンクまで貼ったメールが来ていたことがあった。(いや、うちだって義ママンの時に救急車呼んでるしーとは、思ったけど)

結局、大したことはなく、2回通院して終わったなんてこともあったけれど。

 

隣のうちのお父さんは元気な認知症で、今はショートステイで施設の順番を待っている。そこには本人の希望はない。

 

とも、書いてあった。

 

介護は様々、それを抱えている家庭の事情も様々なのだ。

 

本人は施設に行きたいとかショートステイに行きたいなんて言わない。

 

ショートステイは特に家族のレスパイトだ。

ずっと見ていること介護することで家族が疲弊するから少しでも離れるためだ。

 

『本人は施設に行きたいなんて言わない。ここで死にたいって言う。でも、その本人の希望を叶えるために、家族がどれだけ大変か世話をかけるかなんてことは考えが及ばない。なんなら家族だから嫁だから当たり前くらいのことを日々サポートしていることも思っているかもしれない。ごめんね、これは私の経験だけれど。』と、ギジにサ高住に行ってもらっていることを告げた。

 

それは、本人の安全のためもあるし、ギジ本人はさほど介護は必要がないから自立して暮らせるようにということもあると。

 

彼女のお父さんは夜中に何度もおトイレに起きる。その介助はお母さんがしていたが、お母さんも癌が発覚して以来は元気がなくなってそれをしなくなったという。

 

自分もイライラしていて、隣は介護しないでショートに行かせて・・と、カチンと来ていたのかもしれないけれど。

 

元気な認知だと見ていることも大変だ。

彼女のお父さんは言ってもやらない何もしない。わけだけれど、やっちゃいけない、やらないで欲しいことをする場合もある。

 

家庭の事情はそれぞれ家族の気持ちもそれぞれ、認知症の症状もそれぞれ、介護の形も、何を負担に思うか、

何が困るのかもそれぞれなのだ。

 

そこに本人の希望はない。などと非難する権利は誰にもないのだ。

 

認知症の父親が転倒しても放置ってどうなのよと、避難されたら、うちはうちのやり方あると言うのではないのかな。

 

 

お父さんがそんな状態で、これからはお母さんの介護もかかってくる。

側から見たら、お父さんは施設に入れてあげた方がいいのではないかと思う。

そうでなければショートステイ

でも、言わない。

相談されたら、その方がいいと思うよとは言うけれど。

 

そう、家庭の事情、気持ちなんてわからないもの。

 

よそ様にはお父さんのことを悪様に言っていても、本当は最後までみようと覚悟を決めているのかもしれないし、

お母さんが離れられないのかもしれない。

 

他人がとやかく口を出すことではない。

 

母も、おじさん施設に入れた方がええと思うけど、そんなこと言わん方がええよねと言っていた。

 

 

介護をしている当事者がもう無理、いやだと思ったら、施設を視野に入れて動いたり調べたりするのがその時かなと思う。

そこに本人の希望はないというか、それに囚われていたら介護者が潰れる。

それに、施設というクッションのおかげで、穏やかに接することができる場合もある。

 

(私は初めはそうだったけれど、また鎧を身につけてギジに対峙しちゃっているけれど)

 

 

施設を考えるというか私の周りの施設事情というか介護事情になっているけれど、

 

次は実家のすぐ近くのお家の場合。

 

・・ということで、タイトルを少し変えましたのであしからず。