戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

なんだか自由だな

娘の熱は朝は36度1分まで下がっていた。

 

予約制の駅前のクリニックに予約を入れようとしたが、発熱外来は今日はいっぱい。

我が家から徒歩5分足らずのこちらに越してきてからずっといっているクリニックは、熱があったら外で待つことになる。

熱があるのに外なのだよ。

 

以前は待合室の奥のスペースで待つようになっていたけれど、コロナ禍からはそうなっている。

 

今は熱はないと言ってもたぶん外になるだろうし。

自分で抗体検査をしたかどうかは聞かれる

お腹が痛いとかいつものお薬をもらうとか検診ならそんなことはない。

 

多分、あのセンセは感染症を診たくないのだろう。

 

病状の説明はきちんとしてくれるし、丁寧だし優しいし。(だからものすごく待ち時間が長い)

ちょっと手に負えないと判断したらすぐ紹介状も書いてくれる。

 

コロナであんなことになる前は、インフルだって待合室の奥の方で待機だったし、きちんと診てくれたのだけれどね。

 

熱があったら外で待っていてくださいは・・私は嫌だ。

短時間でもそれは辛い。

 

倍くらいあるくとしても、駅前の予約ができるクリニックのほうが良い。

(コロナの時もここに行った私)

 

で、娘はそっちのクリニックに昨日行けばよかったと後悔をしていたけれど、(土日祝日も短時間であはるが診療はある)

昨日は行くの嫌だったんじゃないのかい。

 

明日の予約を取ればといったけれど、熱もないし・・というので、もうそこは自分で判断してくれだ。

 

通所には、土曜日から発熱で、今朝は熱が下がっているけれど時期が時期なので今週は休むと連絡をしておいた。

 

そんなわけで娘はまだ隔離している。

お買い物に出てお昼をかってきて娘の部屋に持って行った。

私は、賞味期限がきれそうなカップ麺w

お昼を一人で食べてぼーっとしているなんて20年ぶりくらいかもしれない。

 

私の足は良くなった。

少し違和感はあるにはあるけれど、昨日のような痛みもないし、

椅子から立ち上がる時に足に力を入れると痛いこともない。

 

シップと、湯船につからずにシャワーで済ませたことも良かったのかもしれない。

(捻挫とかの時はあったまらないようにと、以前お医者さんで言われたことがある)

 

浴室もリフォームで浴室暖房がついているから真冬でもシャワーで大丈夫なのだ。

以前の浴室なんて真冬にシャワーは無理。

だいたい、いくら湯船に浸かって温まっても湯船から出たら寒くて、身体を洗うのも寒くて大急ぎだった。

 

前の浴室だったら私は昨日はお風呂に入るのはパスだったと思う。

 

ーーーーー

 

昨日の夕方に母から電話があった。

 

何かと思えば、昨日弟が母の所に来たので、

淡路の叔母Bに何かお悔やみの事をしたのかと聞いたら、弟が何もしないよと言ったことが不満だったようだ。

 

「別に私はなんも言えへんかったけれど、あの子おかしなところあるよね。」

 

等という。

『そんなんね、何かするってのは別にその人の考え方やねんからええやんか、

あの子はそこまで親しいわけちゃうやん。あの子は叔父さんのことなんかあんまし覚えてないと思うよ。』

 

母は私に、そうだそうだ、なんもお悔やみのことをしないのはおかしいと同調してほしかったのだろうけれど、そこは空気はあえて読まない私。

 

弟に何かしてほしいのなら母がそういえばよかったのだ。私に電報を打てといったみたいにね。

だいたい、叔父(叔母Bの旦那さん)が亡くなった翌日には弟嫁さんと母は会っているのだからそういえばいい。

 

私が弟に、私はお花を贈るけどあんたどうする?と聞くとでも思ったのか。私はそういう女じゃない。

 

自分がしてほしかったら、そういわなきゃ伝わらんよ。だいたい、去年母の一番下の弟が亡くなったときは母はお香典も要らんと言っていて、私らは何もしなかったのだ。

今回もお香典はいらないと叔母Bが言っていると聞いたら何もしないよ。

 

私だって母から電報を打てと言われなかったら何もしなかったと思う。

 

電報と言われても、電報貰っても困るよねと思ったから電報ではなくお花にしたけれどね。

 

葬儀=電報

というのも昭和の考えなのだよね。

 

母は大阪の出で親戚は皆関西。

うちらは父の転勤で私が小学校1年生の時に関東にきて、そのまま家を建ててこっち住まいである。

弟は幼稚園だった。

 

それから大阪に帰ったことはない。だから弟なんてあまり覚えていないだろう。

従妹弟なんて会ってもわからない。

特に叔父Aと亡くなった叔父Bの従妹なんて会った事すらない。

弟の立場だと、父方の叔父たちは馴染みがあるけれど、母方の叔父叔母はあまりわからないと思う。

 

去年亡くなったその叔父Bは私と一回りしか歳が違わない。

東京の大学に行っていたので、在学中は良く遊びに来ていた。

 

母は自分の価値観でがんじがらめの人なので不満なんだと思う。

価値観というか自分がしたことが正義で、そうじゃないとおかしいと思うのだ。

 

母は、叔母Cのところがセレモニーホールでの一般葬だったことも不満のようだ。

うちが父の葬儀を家族葬にしたのはコロナ禍だったせいもある。

でも、まさか家でするとは思わなかった。

家で葬儀をしたのは母がそうしたいと言ったからじゃないか。

わたしはなんでだよと思ったわよ。

弟に、家ですんの?と、聞いたら「お母さんがそうするっていうんだもん。」

 

母にしたら葬儀は家から出すもんだというのが思い込みだったのかもしれないな。

確かに私が参列した身内の葬儀は全部家から出している。

 

でも、もう一度いうけれど母のすることが正義で他の人のすることが悪ではないからね。

 

母みたいのが姑って嫌だなぁとつくづく思う。弟のお嫁さんはそんな母を転がしてくれていてありがたい。

ま、私はこうして母に「そんなことぁない。」と意見できるだけマシなのかもしれないけれど。

 

あーーなんか。まとまらない愚痴でした。