去年の春。それは金曜日の夜の事。
父から電話で母が緊急入院したと…。
膵炎だけれど大したことはないから急いでくる必要ないと。
解ったと電話を切ったものの。
大したことないなら入院した次の日に電話してくるのが父。
なんかおかしい嫌だなぁ。あまり夜も眠れず。
土曜日の朝、夫に「やっぱり母の病院に行ってくる。」
直ぐに父に電話をして、これから行くと。
入院した病院は実家からは離れた場所。何しろ二人でゴルフをしていて母が具合が悪くなったということで…。
そして、病院に行ったら驚愕の事実を父から知らされた。
「実はお母さん、肺癌のステージ1なんだ。」
は?なに?なんだって?!
白内障の手術を受けようと検査していたら不整脈が見つかって、そのために検査してたら肺癌が見つかった。でもステージ1の初期の初期。お母さんはこのまま放っておこうかな手術嫌だとか言ってたんだ。もし手術受けるにしても短期間で退院できそうだからお前たち(私と弟)には黙ってようとおもってたと。
あのね。言ってもらわないと困るんですけど。
先に病院にかけつけて来ていた弟夫婦もその場で知った模様。
そして、私は父のスマホノ電話番号は知っていたがメアドは知らない。PCのは知ってるけど、これから困るんだけどと弟に言ったら弟も同じく。で、皆でメアドの交換。
膵炎が良くなるまで結局1ヶ月ほど母は入院。私は週に片道1度2時間半かけてお見舞いしていた。弟のお嫁さんもお父さんも甥も休みの日は父の送迎もしてくれた。
退院してやっと肺癌と思いきや。
今度は胆管に石が嵌ってしまってまた入院。
それは内視鏡で破壊したけれど、胆嚢にはまだ石があることが確認されている。これは膵炎の時に解っていた。
肺癌は有明のガン研で診て貰っているので、その主治医が、もし肺癌の治療中に石が動いたら大変。
今は、肺癌よりそちらのほうが生命に関わる。肺癌は大人しいので、大人しくない方をば確実に治療して下さい。僕は、胆嚢摘出が最善だと思いますと。
そんなわけで、9月初めに胆嚢摘出をすることになりまた入院。そして手術。
石は小さい物がたくさんあった。
やっと10月に有明で癌の手術。
短時間で終わり入院も1週間だった。
有明は私の自宅から40分ほどなので、術前検査やらなんやらも手術も入院中も毎日通った。
膵炎や胆嚢の大学病院は何しろ私の自宅から2時間以上かかったから毎日は流石に無理だった。
母は元気に退院して、さて11月になり白内障。それは自宅から車なら15分程の大学病院。2泊3日の手術。
片方終わって、次はもう片方というときに母から連絡がきた。
「こっちに来られる?」
白内障の手術だけど父の都合でも悪くて付き添えないのかな?と思い。
「白内障?行けるよー。」
「白内障もやねんけどな。お父さん具合悪いねん。」
へ?
確かに11月半ばに母の術後検査であった時に、父が少ししんどそうだしお腹出てきてるなぁとは思った。
「お父さん、腹水が溜まってて先週検査してん、私の白内障の大学病院で。私の目は独りでもええんやけど。」
なんなんそれ。行くから。お母さん入院の間お父さんと居てるからと返事をし、夫にも話して。行くことに。
こっちの事は放ったらかしになるので義妹にも連絡した。
母の白内障手術の退院日が父の検査結果なのでとりあえずその日まで実家にいた。
我が家から実家までだいたい2時間である。実家に行って日帰りではお喋りするくらいしかできないので泊まりになる。
父の腹水の原因は今も原因が不明。甲状腺ホルモンと腎臓の数値が悪いのでその薬も服用しているが良くならない状態。
私は11月末から平日は2泊3日や3泊4日で実家に行っている。
年末年始はお暇を貰っていたがまた今週からである。
父の検査結果や診察。母もガン研での定期検査、目も術後検査。父を独りで留守番は不安なのである。
母の付き添いは弟のお嫁ちゃんがしてくれる。お嫁さんは看護士さんなのでとても頼りになるが、お休みの日を実家のことに費やしてしまうのが申し訳ない。
父は頭はハッキリしていて身仕舞いや身辺整理に余念がない、杖をついて家の中も歩いている。が、立ち上がる事や、座った後に膝掛けを掛ける事などが自力では無理な状態。どうしてもサポートが必要なので長時間独りでは無理である。
母も思うように出かけられずストレスも溜まっている様子。
本音を言ってしまえば、父の介護看病。母のサポートという大義名分があるので、此方の隣の義父母のことは関わらないで済むのは…である。
とはいえ、隣の事は夫も義妹も匙を投げてしまっていて静観状態なので私が手出しはしない方がいいという事もある。
でも、隣にいれば「やらなくていいのかな」という罪悪感というか気になる事は確かなので、居ないんだもん仕方ないやと思えるのは良いのかもしれない。