戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

帰宅。父の様子3 と、我が家のオンライン面会

昨夜、

 

息子に父の事を報告した。義母のことも。

 

息子は、なんて言っていいかわからんと。

 

父にとっては初孫である息子。

 

息子も義父より父がじーちゃん。

よく遊んでもらった。

 

会いに行きたいけど‥と。

 

遠いのは如何でもいいけどコロナがね。と。

 

そう。

 

でも、顔は見たいなぁ。と。

 

そこで、閃いた私。

 

『ねぇ、今ならまだ意識あるし、声かけたらわかるからLINEのビデオ通話しない?』と。

 

お昼休みにしようと言うことに。

 

訪問医さんの往診は11時だしね。

 

朝、父は7時前に目が覚めた。

 

『おはよう。』  

 

「おはよう。今日は何日だ。」 

『今日は7月31日よ。』

「ここは何処だ。」

『ここは、お家。』

「お家か。なんか変わったことはないか?」

『ないよー。』

 

ご飯を食べたいとは言わない。

 

お水をのみたいと言って、ちゃんと何時も使っているコップで少しだが飲めていた。

 

その後はうつらうつらしては

「痛いよー!」

 

 

弟嫁さんが、10時前に車で来てくれて、速攻母に頼まれた買い物をして帰宅。

 

 

訪問医さんと、訪問看護師さんが来てくれた。

 

昨日から今日のことをお話しした。

 

うーん、やっぱりあまり薬は効いていないですかねぇ。

 

父は痛い痛いと言っているし。あー!!!と、痛そうな声をあげている。

 

薬を1.5倍にしてみる事にした。

 

恐らくこれで痛みを余り感じないで眠れるかなと。

 

増量した分が身体に到達するまで4時間ほどかかるそう。

 

 

お昼になって、

息子にこちらは大丈夫だよと連絡をしたら

LINEビデオ通話が始まった。

 

おお~!と、父も反応していた。

 

テレビ電話できて良かったねぇ。

「ああ、便利なものがあるんだなぁ。」

 

話した時間は3分ほど。

 

 

その後、

痛いとか、おーい‼️と言うので私が行くと。

「なんだ、のわーる、昨日来たのか?」

『なんでやねん。おとついから来てるやん。』

「そーかー。」

『さっき、○くんとテレビ電話したでしょ?』

「おお、したした。便利なものがあって良かったなぁ。」

そして

「ごめんなぁ。ありがとうなぁ。」

 

LINE、父は絶対に使おうとしなかった。

私も本音は使いたくない。

ただ、こうやって義父母や実家の介護をしていると、直ぐに連絡がつくツールは有り難い。

そのLINEのおかげで、

遠いしコロナのせいで会えない孫とじいちゃんが会えて話もできて。

ありがとうだ。

 

 

今日は弟嫁さんが夕方まで居てくれるし、

明日は弟が居てくれる。

 

私は一旦帰宅。

 

また水曜日に来るねと母に言って帰ってきた。

 

父は眠っていた。

 

 

何もなければ来週水曜日から。

 

 

でも、来週は、眠っている父を見てるだけかな。

 

 

弟嫁さんは、

ここまで来たらやっぱり在宅にして良かったと。

あのままだと母がボロボロになっていたと思うと。

 

うーん。

 

それはわからない。

 

 

確かに母は父が入院してから不安定だった。

老人性鬱かなと思った。

 

でも、まるで苦行のような在宅介護。

父はずっとベッドの上から母を監視して支配して、思うように母が動かないと怒ってたし。

 

私は可哀想だったと思う。

 

今は、寂しさともうすぐ開放される…なのかも。

 

あとは、独りで看取る事になる恐怖。

それが大きいのだろう。

 

出来れば、私か弟が居るときがいいなぁと思う。

 

 

 

私が水曜日に実家に行ったら、母の顔つきが柔らかくなった元気になったと弟嫁さんが言っていた。

 

 

やっぱり

娘なのかな。

 

 

そう思うと、こっちの義父も義母も、義妹の存在は大きいのだろうと思う。

 

親が動けなくなったときこそ、弱ってきてる今こそ、

義妹は顔を見せてあげたらいいのにな。

 

 

近々、絶対に死が訪れる父。

 

今の所、安定している義母。

でも、肺炎は繰り返すこともあるし、何より栄養状態の良くない義母。

やはり、画面越しにでも声を聞かせてあげることが孝行だし、夫婦の情だと思う。