戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

帰宅しました

つーかーれーたー。

 

母は、今日私等が帰っちゃうからか元気がない。

 

しんどいしんどいと言う。

 

高知から帰ってからしんどいねん。と。

 

そりゃ疲れるわよ。

私かて帰ってきてから疲れてるよ。

 

(本当は疲れてるから今週は来たくなかったよぉ)

 

夜は寝てしまうからええけど昼間が寂しいって。

 

そんでもね、

 

日にち薬って言うやん。

 

日にち経っていったら大丈夫やし、

それにね、寂しいとか哀しいって思うのが普通。

当たり前やんか。

 

母には言わないけれど、

ふとした時に、

お父さんはもう居ないんだと思うと哀しくなる。

毎年、栗を送ってくれて、馬鹿みたいに毎週のように栗ご飯を作ってたけど、

(私もスーパーで買っては作ってた)

今年はそんな気になれない。

栗を見ると哀しくなる。

 

 

父が入院していたときの母、鬱状態だったのに、本人は自覚なしで、

どんなんなってたのか覚えてないってw

 

 

弟からのミッション、

国勢調査と喪中葉書のデザインは完了。

お香典返しも終わった。

 

まだまだ、やるべきことはある。

 

携帯電話のこともね。

どんなプランだったのか確かめようと父のスマホを起動させたら

叔父とやりとりしているメールがあって、

なんだか哀しくなっちゃって、閉じちゃった。

また来月ね。

 

父のを解約して母のだけを残すにしても、主契約が父だしねぇ。

 

弟はそっちのことは手を付けないようだしねぇ。

できれば、母のプランにカケホをつけてあげたい。

なんせ、お喋り大好きだから。

お友達と沢山喋るといいよ。

 

父が入院していた時は、

父の病気のことは隠していたから、

親しい人に話しちゃいけない。ってのも母の心の重りになっていたのかもしれないな。

 

近所の人にも隠していたから。

 

 

8月からの怒涛の日々。

少しだけ落ち着いたかな。

 

あとは義ママンの四十九日と納骨。

 

そして、忌中が開けたら…。

 

 

あ…。

 

ギジの手術か。

 

私は手伝いはするけど知らんよ。

 

いろんな手続きも。

 

知らんよ。

 

疲れたよ。

 

 

 

 

私らが帰るとき。

少しは元気出してた母でした。

 

月一で遊びに行くよ。