戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

籠の鳥

私じゃなくて義ママンの事。

 

もしかしたらギジは義ママンに対してモラハラ夫だったかもと思います。

 

モラハラについては厳密な定義なんかわからないけれど。

 

 

縛り付けていたことは事実かと。

 

 

まず、モラハラ疑惑の前に…。

 

義妹がいうには

 

義ママンは小学校のPTA役員をしていた時も

食事の支度があるからと活動後にお茶でもというお誘いは断らざるを得なかった。

自由がなかった。

 

その頃は夫と義妹の祖父母もいて、何しろ祖父が夕方5時半とかに夕飯だしお風呂も早くて義ママンは夕方までゆっくり出かけるなんて事はできなかったらしい。

(まるでギジ)

 

祖母は何もせず義ママン1人でやっていたし、姑の嫁いびりも相当だったらしく、

義妹は祖母が大嫌いだったと言う。

 

ここの捉え方が夫は違っていて、

義ママンは外に出るのが嫌いで人と付き合うことも嫌っていたと夫は言うし、

嫁いびりなんて知らない感じ。

ただ。祖母は孫(夫と義妹)の面倒は見ない人だったと。

 

ギジがその時如何だったのか。

夫も義妹も言わないし、私も聞き出そうと迄は思わない。

 

 

さて。

 

私が義両親の仲について思っていたのは

 

仲の良い夫婦。

 

ギジは義ママンを大切にしていると思っていた。

 

これがガラガラと崩れたのは義ママンの認知症が発覚し、

ギジと関わるようになって人と成りがわかるようになってから。

 

仲が良いわけじゃない。支配していただけ。

人前では良い旦那さんを演じていたけれど、

ただただ、義ママンを自分の思い通りに支配していただけ。

 

それが義ママンの認知症で上手くいかなくなる事が多くなった。

 

義ママンも支配から抜け出せずというか洗脳されてしまっていたんだと思う。

 

義ママンの事を娘の主治医に話した時に

 

【私が直接診たのではないから唯の憶測だけれど、

お義父さんはお義母さんを支配してきたんだと思います。

その支配から解放されるには認知症になるしかなかったんじゃないかしら。】

 

義ママンは趣味も色々あった。

刺繍や編み物。特に編み物は大好きで、ギジのセーターや、うちの子が小さい時はよく編んでくれたもの。

ガーデニングも。

 

ギジが退職してずっと家にいるようになったら

刺繍も編み物も辞めてしまった。

編み物はもうしないの?と一度聞いた事があるけれど、

毛糸が高いからと言っていた。

今思えば、

そういう手仕事をしていたら

ギジがいい顔をしなかったのではないかと。

何しろ無趣味だし、趣味を馬鹿にしているギジ。

 

ガーデニングも。腰が痛くなるだろうと義ママンさせなくなった事を考えても。

 

手仕事をして、肩が凝ったわなどと言ったら、そんな事するからだと言われたかもしれない。

 

ガーデニングに関しては、ギジが同級生との集まりに出かけた日には、義ママンはやっていた。

見つかると怒られちゃうって悪戯っぽく言っていた。

 

私は、大事にされているんだと思っていたけれど、

そうじゃなかったのね。

 

デイサービスも。

義ママンが楽しげに帰宅する事が気に入らなかったのだと思う。

 

「お父さんはお母さんが楽しいのが嫌なのかもね」と義妹が言ったことがあるけれど、その時は私はそういう気持ちが分からなくて、

まさかと言ったけれど…。

 

だから、義ママンにデイサービスに行けとは言わず、

義ママンがその気になって支度をしていても

具合が悪いからと断りの電話をしていたのかもしれない。

ドクターストップだとウソを言った事もあった。

 

断りの電話があっても迎えの車は来る事にしたし、ヘルパーさんに送り出しを頼んだり、

夫も朝の声かけをしたり、色々としたけれど。

ヘルパーさんが、支度をさせようにもギジが義ママンに付いて離れないとか。義ママンが行く気になっていてもギジの機嫌が悪くて義ママンが行きたくないと言う事もあった。

ヘルパーさんから旦那さんがネックだとも言われた。

 

私は、ギジがウソをついて義ママンを行かせなかったことで

ギジに怒った事もあり、気持ちがおかしくなった事もあって手を引いた。

 

 

 

義ママンも、夕方になると帰って夕飯の支度をしないと行けないと思ってしまっていたようで(もう自分の食べるモノさえできなくなっていたのに)

ソワソワしていたらしい。

後から聞いた話だけれど。

 

そうそう、

娘の主治医から、

ギジから義ママンを離してあげるのが一番いいと言われたんですよ。

 

それなのにギジを義ママンと一緒に行かせる事にしたケアマネと義妹。

 

はぁ⁉️となった私は異議申し立てをしたけれど、私が妨害しているように取られた。

 

どうやら、ケアマネと義妹は、義ママンはギジに遠慮して行かないなら一緒なら行くんじゃないかと思ったらしい。

 

デイに行けば良いって問題じゃないのに。

 

案の定。義ママンはガンとして行かなくなった。

ギジがデイを気に入っちゃって、義ママンを置いて1人で行く事案が発生した。

 

今の娘も同じ事を言われているわけです。

ギジから離れるように。

 

娘がギジからモラハラを受けているわけじゃないけれど。

 

もう、ギジの存在がモラハラなのかも。

 

 

義ママンが認知症になる前、

 

ギジは義ママンに届いた同窓会の案内を、どうせ行かないだろうと義ママンの目の前で破り捨てた事があると義妹から聞いたことがある。

 

同窓会は愚か、義ママンは実家にも行かれなかったのではないか。

 

毎年お正月は、2日は私の実家に1泊することになっていた。

出かける時に何時も義ママンはお年賀を持たせてくれたが、その時に耳元で

「良いわよね。実家に帰れて。私なんか帰ったことなかったわ。」

と、その度に言われた。

それがとても嫌だった。

義妹はしょっちゅう遊びに来てるのになんで嫌味を言われなきゃなんないのよと思っていた。

 

でも、今思えば。

義ママンは里帰りなんてさせてもらえなかったのかもしれない。

 

親兄弟姉妹の法事だって義ママンが行ったなんて聞いたことがないし。

 

 

義ママンにしたらこういうことが当たり前で、支配されているとかモラハラだなんて思いもしなかったろう。

 

それこそ、ギジを怒らせないように。

ギジが不機嫌にならないようにしていたのかもしれない。

 

だから、ギジがデイに行かせたくないのだと感じたらデイを否定して行かない。

義ママンを誘って娘と私とで出かけようとしていた日も、具合が悪くなったと言いに来た義ママン。

あの時も、散々キジから妨害された。

 

 

そして、認知症になった義ママンは反抗もするようになり、

ギジは義ママンを理由にしては私を動かすことになる。

1つの言葉で気を遣い慮って忖度して動く私はギジにとっては都合のいい嫁だったんだと思う。

ただ、元々そういう事を嬉嬉としてやる性格ではないわたしは段々と疲れてきて、ギジに疑問を持つようになった。

 

 

ギジは、

外では優しい奥さん思いの旦那さんだと思われていた。

 

皆、騙される。私だって騙されていた。

 

そこが、恐ろしいところ。

 

 

言ってもせんのないことだし、

私だけがいくら言っても、

介護したくないから施設に入れたいんだろうとしか思われなかったから仕方ないけれど。

 

早く施設に行けていたら義ママンは穏やかに暮らしていられたかもしれないと、

私は思う。

 

タラレバだけれど。

 

 

結局、最後までギジ都合で義ママンは延命されたようなもの。

挙げ句の果ては

義ママンが危篤と連絡が入っても、キジは義ママンに会いに行くのを辞めると言ったし。

 

酷い話。