戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

帰る家の事や思い出した事

昨日の続き。

 

義妹が、此処をリフォームしてギジが住まなくなれば帰る所が無くなると言った事。

夫の話しなので私が聞いたわけじゃないが。

 

夫は「だからさ、(嫁に)出た人間には帰る家はないんだからさ、そんな事言ってもなんだよ。」と、言った。

 

それなら私が実家に帰るのもおかしな話しですかね。

でも、夫は、私の両親が元気で暮らしている頃から、

偶には実家に帰って泊まってきたら?お母さんもお父さんも会いたいだろう。と、事あるごとに言っていた。

 

両親が、夏も年末年始も此方が休みの時に高知に長い期間帰省するようになってからは私はすっかり里帰りはしなくなっていた。

 

偶に会う時は日本橋で待ち合わせをしてお昼を食べたり、お買い物をしたりだった。

 

両親も。隣にギジや義ママンが住んでいては、家を訪れる事も遠慮があった。

 

 

夫が言ったのは

家を出た人間が「実家が無くなる」などと言ったって、何をどうする権利もない。

 

と、いう意味なんだろう。

 

「お袋なんか実家に帰らなかったもんな。あの時(義ママンを実家のお墓参りに連れて行った時)も、実家には行かなくて良いっていってたしさ。」

 

『それは違うよ。あの時は、お義母さんの実家を外から見るだけでもって貴方が車で探していた時に、もう良いからやめよう、帰ろう。探さなくていいって言ってたのはお義父さんだよ。お義母さんの実家なのに、なんでお義父さんがあんなに行くな行くなっていうんよって思ったもん。』

 

やっと見つけた義ママンの実家は建て替えられていて、敷地も狭くなっていた。

夫がダメ元でお宅のチャイムを鳴らしたら、義ママンの長兄のお子さん(夫の従兄)が在宅していて、

夫が「お袋が認知症になってしまった。実家の墓参りをしたいというから、もう最後かもしれないから行ってきた。急に来て申し訳ないけれど、

挨拶だけ」という内容の話しをしたら、うちのお袋も認知症でさ、良かったら叔母さん会っていく?と、寝たきりになっているお母さん(義ママンから見たら兄嫁さん)と義ママンだけ会わせて貰ったんだった。

突然伺ったので私たちは外で待たせて貰った。

 

『お義母さんは、帰りたくなかったんじゃなくてお義父さんが行かせなかったんじゃないかな。』

 

『お義母さんね、ボケちゃってからだけど、私には実家はどうなってるのかしらとか行きたいって良く言ってたよ。』

 

そりゃぁ。自分の親が亡くなってしまって、兄の家族がそこに住んでいたら、なかなか実家に行く事はままならなくなると思う。

最早そこは実家だった場所なだけなのだ。義ママンだって晩年はそうだ。

 

 

『実家に行く時に、行ってきますっていうじゃない?その時にいつもお義母さんに、良いわね実家に帰れてって言われてたのよ。今だから言うけど。すっごく嫌だったの。ほんと嫌だったの。』 

 

そう言われるのが嫌で、実家に帰ることが億劫になっていた。いちいち、実家に帰りますと言わなきゃいけないのが嫌だった。

今は言わないで帰っているけれどw

 

『その時はね、義妹ちゃんなんてしょっちゅう来てるのに、なんで私は言われなきゃいけないのよって思ってた。

でも、今思うと、お義母さんは実家に帰りたくても帰れなかったんじゃないかなって思う。だからそんな事を言ったのかもって。』

 

帰りたい時に帰れていたらそんな事は言わなかったのかもしれないと、今になって思うのだ。

 

 

認知さんになってからの義ママンは、事あるごとに

私に、実家に帰ってる?帰りなさいね。と、言っていた。

 

 

✳︎✳︎✳︎

 

母が急性膵炎で入院した時。

実家の最寄り駅より遠い駅の病院だったが、私は毎週病院にお見舞いに行っていた。

片道3時間くらいの道のり。

面会時間に間に合うよう家を出て、病室にいる時間は20分ほど。

それでも、私は週に一度の気兼ねなく両親に会える時間だった。

 

 

その時に父から言われたのは、田舎のお墓を墓じまいして、実家の方に買ってある霊園に移そうと思うという話だった。

あんた達も田舎に墓参りなんて行かれないもんな。と言っていた。

母の急性膵炎は、実は入院した日が山だったと後で聞いた。そんな事もあって、父も自分らの後の事を考えたのかと思ったし。

そりゃぁお墓は近い方が良いねと思った。

 

母は1ヶ月余り入院して回復して退院をしたが、今度は胆管に結石が詰まってまたもや入院。

 

その時に父にいわれたのが

お母さんが良いと言ったら、今の家を処分して、高知に帰ろうと思う。だったのだ。

 

高知の家の方が、スーパーも今よりずっと近いしお魚も美味しい。生活をするのは確かに楽である。

 

 

入退院を繰り返す母、自分も歳をとっている。何かと不便な今の家にいるより、兄弟も居る高知の方がと父は思ったのかもしれない。

 

 

お父さん達が高知に行っちゃったら会えなくなるな。

 

私はそう思った。帰る家が無くなるとは思わなかったが。

 

でも、何かあっても私が両親の面倒を見る事は困難だし、父と母がそれを選んだらそれは仕方がない。

 

 

 

そんな事を言っていた父の方が難病に罹ってしまって亡くなってしまったのだけれど。

 

父が亡くなってから、母にそんな事があったと話しをしたら、全然知らんかったわ!と言っていた。

 

お父さん、よう言わんかったんかな。

 

私にとっては、帰る家は建物ではない。

親そのものだ。

今は母なのだ。

 

 

親が居なくなれば、そこはただの建物で帰る所ではない。

 

 

義妹だってギジが居なくなれば…だったのかもしれないが。

それは私の感傷で義妹の言う帰る所は何処なのかは分からない。

 

 

 

 

 

母のお見舞いの為に頻繁に病院に行っていた頃、

もういちいち行ってくるとギジに言う事はやめていたけれど、

ある時玄関出たらギジが外にいたので、母の病院に行ってきますと言ったら

 

「泊まってくりゃ良いんだよ‼️」と、怒鳴られた事がある。

 

 

私が母の病院に行くことでギジや義ママンに迷惑なんかかけていなかったし、

何か頼む事もなかった。

 

それなのになんであんなに言われなきゃなんないのよと腹が立った。

 

そもそも、泊まってくりゃ良いんだなんて言われる筋合いはない。

 

 

またギジの嫌な事を思い出してしまった。