夫がLINEをしてきたのは、昨日の夕方だった。
「明日はテレワークになりました。午後から出かけますが、夕方には戻ります。お昼の用意が難しいなら外食します。」
以前なら、明日はテレワークになったとだけだった。
それも、帰宅してから言われる事も度々であったから、こうして早めに連絡をくれた事も、
お昼は作れるかと聞いてきた事も彼にしたら進歩ではある。
「明日はテレワークになった。」
この一言で、予定していた事が大幅に変わる。
私は、急に予定が変わる事が嫌いである。
買い物に出るのも曜日を決めて、何日か分のメニューも決めておく。
急に言われると、お昼どうしようとなるのである。
平日のお昼は娘と2人分の用意で考えているのだから。
仕方がないので、お昼に間に合うようにささっと出かけ慌てて買い物をして、帰ってきて作る。
この事がどれだけ大変か。
テレワークは。勤務開始時間、昼休み、終業時間が管理されている。
昼食の支度が遅くなったらそれだけ食後にゆっくりする時間がなくなる。
昨年、コロナ禍でテレワークが推奨されてから、このような日々である。
夫の場合、仕事柄毎日テレワークではないが、テレワークの日が決まっている訳ではない。
大抵は前もって分かるけれど、存外急な事が多いのである。
それでも。
家で仕事をしているのだから仕方がないと思っていた。そう、我慢をしてやっていた。
ある時、やはり急にテレワークだと言われ、どうしようもなく嫌になっていた事、3人分の食材も無かった事とお買い物に出ることすら嫌だった事もあり、ご飯を炊いて、お昼に買い置きのレトルトカレーを出した事がある。
何も無いから買い置きねと言って。
夫は文句も言わずに食べたが、それからは、急な時はお昼は外で食べるよと言うようになった。
何もいわなければ、できると思われる。
ご飯は出てくる、食材だっていつもあると思われる。
生憎私はドラえもんではないのだから四次元ポケットは持っていないのだよ、のび太くん。
少しばかり文句を言っても、やっていれば、そんな文句は無かった事となるのである。
無論、その文句も、面と向かって言わなければ、またなんか言ってるな、煩いなで右から左なのである。
普段の昼食では、私はご飯を炊いてレトルトカレーは出さない。
時間がないからとパンやお弁当を買ってくる事もあったが、基本は作る。
それだけその日は無理だった。
図らずもそれが意思表示になったのかもしれなかった。
そして、昨日である。
えーーっ!と、言いつつも、わかりましたなどと返事ををしたら元の木阿弥であると思った私は、
ちょっと考えます。
今日、週末日曜日までのお買い物は済ませてしまいました。
お昼の事もあるけれど、夕飯の事も考えないといけません。
またお買い物に出るのはしんどいし、食費が嵩むので。
と、返事をした。
続けて、
冷蔵庫と相談中です。
冷凍食品の買い置きをしていたいけれど、冷凍庫が小さいので無理なんですよ。
我が家の冷蔵庫はもう25年も前のもので、1番上が冷凍庫という壊れないのが不思議な程のレトロな仕様である。
幅も狭い。
ギジ宅の冷蔵庫の方が大きい。
既読がついたところで、
多分なんとかなると思います。明日お買い物に行きたくないし。
夫からは、ありがとうと返事が来た。
本当のところを言えば、無理をすればなんとかなるとは、はなから思っていた。
が、無理をしている事、我慢している事を隠すことは美徳でもなんでもないと思い至ったのだ。
【なんだかんだ言ってもやるんだから大丈夫。】
そう思われるという事は、当たり前だと思われるという事なのだ。
介護も同じ事なのだと思う。
文句や愚痴を言いつつも、やっていれば平気なのだと、出来るのだと、当たり前だと思われる。
自分がやってみて初めて、大変だとわかるのである。
食事に関して言えば、自分だけならば、その時に食べたい物を買ったり作ればいい。
だが、親、配偶者、子供がいれば、
「食べさせる」という事になる。
食べさせるというのは、あーんして、ではない。
自分以外の人の為に何を食べさせるのか。
献立を考えて買い物に行き料理を作る。
誰かのためにそれをするという事がどれだけ大変かという事は
普段やっていなければわからない。理解するのは無理であろう。
それでも、言わないよりは言う方がいいと私は思う。
昨日のLINEも。買い物から考えて予定を立てているのだと少しでも知って欲しかったのである。
そして、今日のお昼なのだが、
「よく考えたら、12時半前には家を出ないといけないからさ、外で食べていくよ。」
朝になってそんな事を言う夫に
『それならお外で食べて下さいね。』と、冷たく言った私である。
そう。変更したお昼のメニューを元に戻した事は言うまでもない。
外は雨模様。
長月に入り肌寒くなっている。
そろそろ何か編みたいなぁと、私はうずうずし始めている。