戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

お手伝いさん

今日は娘の通所。

夫はテレワークなので送迎を理由に逃亡してきた。

そう、何時もの休憩所である。

 

介護サービスを親に受けさせることは大抵の場合ハードルが高い。

 

デイサービスなんて年寄りが行くところだ。

あんなところでチーチーパッパなんてやっていられるか!(実際ギジはそう言った。)

 

自分は困っていない。

自分で何でもできるからそんなものはいらない。

 と、拒否をする。

 

ヘルパーさんや訪看さんに来てもらうことも、他人を家に入れる事を拒否する場合が多い。抵抗があることは私も解る。

 

だから、ギジや義ママンがヘルパーさんに来てもらう事について、デイサービスと同じように拒否をするとおもっていた。

 

が、二人がすんなりとヘルパーさんに来てもらうと言ったことには驚いたものである。

 

考えてみれば、

二人共にお嬢さんとお坊ちゃんだ。

 

小さい頃には家にお手伝い(女中さん)が居たのではないか。

そんなことを夫に話すと

「そんなもん居たわけないよ。居ない。」と、否定しまくるのだが、私はそうは思わない。

 

戦前。

中流のサラリーマンの家庭でもお手伝いさんは居たようだ。小説や古い映画にはお手伝いさんが登場している。

 

冷蔵庫も洗濯機も炊飯器もない時代。

でも、子供が四人五人と居るのが普通の時代だ。

 

ましてや、キジの父親はとある企業の創業者だったそうだし、ギジの母親は豪農の出。

義ママンの父親は社長さんだったという。

お客さんが多かったのよ~なんて話は義ママンからよく聞いた。

 

あの時代、大抵の場合、

お手伝いさん女中さんといっても働いていたのは若い娘さんだったという。

お手伝いさんをして家事やお裁縫、行儀見習いをする感じで、何処其処でお手伝いさんをしていましたという事で箔が付くこともあったろう。

女学校に行かれるのは裕福な子女だけだった時代。お手伝いさんはある意味女学校みたいなものだったのかもしれない。

雇い主も家族のように接していることもあったようだ。

 

 

それも、戦局が悪化して、贅沢は敵だということでお手伝いも居なくなったのだろう。

 

だから多分

義両親ともに、小学生の頃はお手伝いさんがいたと思う。

 

私の親の事を思えば、 

父の方の田舎は漁師の網元?だったので(父はそこの祖父母のところに疎開していた)そこにはお手伝いさんがいたかもしれない。

母の方は、街中の長屋みたいな家だったから住み込みのお手伝いさんなんて雇えなかったと思う。

二人共お坊ちゃんでもお嬢様でもないし。

 

 

などという話しを昨日娘にしたら、

娘も絶対に義両親の家にはお手伝いさんはいたと思う。と言っていた。が、

昔のお手伝いさんはそういう感じだったとは思わなかったようだ。

 

未婚の女性がずっとその家に居て家を取り仕切る、欧米の女中頭とか執事のイメージだったようだ。(ホームズとかポアロの世界ね)

そういう人も居たようだけれどね。

 

 

他人を家に入れる事は嫌でも、嫁にしてもらうのは良いってなんなんだろうねぇ。

嫁も他人だよねぇ。

 

義ママンの場合。

他人のヘルパーさんは良くて、私は嫌だったようだ。

御飯は作って持ってきてほしいけれど、キッチンを使われることは嫌だったようだ。

私のやり方が気に食わない。

洗い物もされるのは嫌だった。

 

それはね、私も解るけどね。

 

そんなことを夫に言っても、理解出来なかったよねぇ。

私がやりたくないからだと言われたよね。

 

私のすることが気に食わなくて、

義ママンがやり直しをするから嫌だったのよ。

 

ギジは自分がやりたくないから、私でも誰でも良かった感じだけどね。

 

嫌なことばかり思い出すけれど、思い出してこうして吐き出す事も必要なんだと思う。

 

 

良好な関係だったらお世話してますよ。