地下鉄サリン事件から28年。
その時はまだ地方都市に居て事件を知った私は、
父は地下鉄には乗って通勤をしていたけれど、路線が違うから大丈夫だとは思いつつ
念の為に母に電話をしたのだった。
その2ヶ月前には阪神淡路大震災があって、芦屋に居た叔父叔母の安否がなかなか確認できず心配したし。
(無事だったが被災していた)
あの年は大変な年だった。
そう、その4月に東京に転勤になって、東京に移動になったら二世帯で住むことが約束されていたから(4年前に二世帯にして半分は賃貸にしていた)私は憂鬱で堪らなかった。引っ越しの準備も遅々として進まなかった。
サリン事件の報道が収まらない中、まだ犯行が確定しない中、怖い東京に行くんだねぇ。などと言われたし私も笑っていたけれど、
サリンよりも、義両親と完全別世帯とはいえ二世帯で暮らすことの方が恐怖だった。
30年30年と言っているが正確には28年。
この家のリフォーム話が出たのが築30年。あれから2年でやっとだ。
やっと自由に暮らせるのだと思うと感慨深い。
ギジが不満ながらもサ高住に移ってくれたおかげであるから感謝ではあるが、会うとやっぱり駄目だし会いたくない。
ギジは自分が建てた家だとか、義妹には「お父さんとお母さんが建てた」と、言っているようだ。
確かにHMと契約をしたのはギジだし、相談したのはギジで決めたのもギジ。頭金もだした。
でも、ローンをずっと支払っていたのは夫だ。
その他にギジ達から援助もしてもらっていないし、子供のことで世話になった事もない。
お祝いも小学校の入学にランドセルを買ってもらっただけで、それ以降は何もない。
一緒に旅行に行った事もない。一緒にお出かけなんて七五三の時だけだ。
成人のお祝いもない。こちらもして欲しいとは思わなかったけれど。
そういう事を義妹がどれだけ知っているのかは知らない。
(存外、義妹の方には節目節目のお祝いもしていて、援助もあったのかもしれないが)
設計や間取りに関して私たちの意見を聞いてくれたことはない。
建売だって細々したところはお願いもできるだろうに。
不満ばかりの家だ。
事件を災害を知らない人が多くなった。
忘れられてしまう・・と、被害に遭った方々のコメントを聞くたびに
私に取っては、やっと・・なのだと思ってしまうし。
私には忘れられない28年前だ。
28年間のこと。取り戻したいなぁ。