夫は、ギターのレッスンから帰宅。
そして先ほどギジの居るサ高住へと出かけた。
電車で1時間以内ではあるけれど途中で座れるし、乗り換えも直ぐなので私の実家に行くよりはずっと楽である。
でも、暑いし。疲れるよねぇ。
目的は、8月に切り替えの後期高齢者の保険証と介護負担割合証が届いているので届けるため。
私が届けておこうかと言えば、そうしてくれと言ったと思う。
でも、私は言わない。自分からは言わない。
「悪いんだけど(← この言葉が大事)届けてくれないかな。」
とか、
「届けてもらえると助かる」とか言われたら私だってやぶさかではない。
が、こう言う場合。
「届けてくれる?」とか「届けといてよ」
なのだ。
今までの経験上の話だけれどね。
自分は仕事なんだから専業主婦の私が届けて当然。
という気持ちが透けて見えてしまうのだ。
言葉使いは大事なのだよ。
自分が行く用事を頼むのだからね。
尤も、夫にしたらお決まりの「家族だから」当たり前なのかもしれないけれど。
家族じゃないよ。私はそう思っていないのだ、申し訳ないけれど。
なぜ今日行くのか。
明日だって良いのに。と、思ったけれど、そこは追求はしない。
朝、10時半ごろに今日行くからと夫がギジの携帯に電話をしたが出ないという。
前に、サ高住を引越した直後だったか、義妹がギジに電話をしても繋がらないと大騒ぎをしたことがあった。
施設に電話をして、その時は食堂にいたのだが、やはり携帯が繋がらず、ギジが壊れたとか言ってドコモショップまで行ってきたことがあった。
らくらくスマホに機種変でもしてきたら困るよとか、そもそも遠いのにドコモショップに行かれるのかと思っていたら、
行ってきたギジ。
なぜかこういう時はスイッチが入ってちゃんと行かれるのだから嫌になる。
バッテリーの交換だけで済んだのだけれど(本人談)今時予約無しで?とか疑問は残る。
そんなことがあったので、やはり夫が行かないことにはまた携帯が壊れたとかバッテリーがおかしくなったと言いかねない。
そんなにすぐにバッテリーはダメにならない。
そもそも待受ばかりなのだから。
ギジは電話機能しか使っていない。カメラの機能すら使ったことがないのだ。
ギジのガラケーはドコモが3gのサービスを終了する2026年まで使えるはずだ。
・・・スマホに変えても使えなったらその時のことだけれどね。
今日の夫の目的は、保険証と介護保険負担割合証を届けること、サ高住の事務所にそれを伝えてコピーを取ること、
夕方、ギジと一緒にお酒を飲むこと。
+携帯の具合を確認すること。← これを忘れるかもしれないw
今日はお酒を飲むのかな。
前に夕方行った時はギジが別に良いといって飲まなかったけれど。
さて、その「後期高齢者」の保険証。
なんと負担が3割になっている。
今までは1割だったじゃないか。
なんでだ?一定の所得があると2割になるということは聞いていた。
ギジは課税対象だからとは思うが、3割って・・。
訪問医療の費用も上がるじゃないか。お薬代も。
その上、今まで2割負担だった介護負担割合も3割になっている。
デイサービスやヘルパーさんの費用も上がる。
ギジは今、要介護1だけれど、介護度が上がると負担も増えるよ。
・・・・ギジは課税対象者である。それだけ年金額が多いのだけれど、それでもサ高住の経費は年金だけでは賄えなくて擬似の貯蓄からも出している。
ますます支出が増えてくると、その貯蓄が減ってきて、このままじゃ無理だから家で引き取るなんてことになったらどうしよう。
いやそれはやめて。
後何年保つんだろう。
ギジじゃなくてお金。。。なんて考えてしまう。
あの人、不死身だもの。
100まで生きそう。
その時にはこっちだってもう年金生活者。とてもじゃないけれど、面倒なんて見られないし、お金だって困るじゃないの。
長生きしすぎると、生きているだけで迷惑かけちゃうんだと、しみじみ思うよ。
自分で1人で誰の世話にもならないで生きているなら良いけれど、ギジの場合、もう人のサポート無しでの生活は成り立たないもの。
歩けるとか、食べられるとか、排泄ができるとか、そういう問題じゃなく、
判断力や理解力が無くなっていることが問題なのだよ。
ほんと困るなぁ。
夫からラインが来た。
サ高住の最寄駅に着いたからギジに電話をしたが出ないという。
時間的に寝ている可能性もあるし、夫は直ぐに切っちゃうから出るのに間に合わないのかもしれないし。
とりあえず、着いたら携帯の確認してくださいと返事をしておいた。