予報の通りに雪が降ってきた。
屋根やベランダには雪が積もり始めている。
出社した夫は午後からは在宅ワーク勧告が出たので帰宅した。
ああやれやれ。
道路に積もると雪かきが半端なく大変。
我が家は坂道の途中にあって、道路から階段を7段ばかり上がって門である。
そこからま22段上がって玄関。
雪が積もると、そこの雪かきが・・・💦
尤も、ギジが居ないので早朝に門の周りの雪かきをする必要もない。
私がゴミ捨ての時に怖いだけだ。
これでギジがいたら、ギジが新聞を取りに出てくるから玄関周りの雪かきをせねばならなかったし、滑りそうで怖いのにギジのゴミも捨てなければいけなかった。
雪かきをするのはいつも私。
ギジも若いころというか80代前半までは玄関や階段の雪かきはしてくれた。
道路と駐車場はしてくれなかったから私。
会社に行くとはいえ、夫が早起きして出社前に雪かきをすればいいのに、しない。
平日に雪かきはしたことがない。
よそのうちは旦那さんがしているのにね。
自分は仕事だから・・・なのだろうけれど、こういう了見だから介護も私にさせようとしていたというか、家の事は私がして当たり前だと思っていたんだろうと思う。
そもそも、自分の親がどんな状態でどういう介護区分だとか、
どういうサービスを受けているとかをケアマネから聞くということも、どんな病状かを医師から説明されることも嫁に任せておくというのはおかしいだろう。
「だって、俺は何も知らないから、わからないから出来ないよ。仕事してるし。」
というのはよく聞くセリフである。夫もそうだった。
何も知らないから、わからないから出来ない。ではないのだ。
自分の親のことを知らないのも分からないのもおかしい。
出来ないじゃない。社会人として生活をしているのだ。
職場で、分からないから出来ないなんて通用しないだろう。
奥さんが働いていようがなかろうが、自分が仕事をしているから忙しいからということを理由にして自分の親の事を丸投げするのはおかしいのだ。
それならば、奥さんの親が介護状態になったときに自分も介護に参加する?
夫はしなかったよ。
私が実家に行くことは協力していたけれど、
それも私は夫が困らないように食べるものは置いておいたし、
ゴミも分別して捨てられるようにして、何曜日は何を捨ててくださいと毎回紙に書いておいて全てお膳立てをして行っていた。
勿論、夫がお洗濯をすることはなくて帰宅してからは大量の洗濯物・・・。
介護の協力なんてしていなかった。
でも、私は自分の親のことだから夫に一緒に寝泊まりをして介護をしてくれとは思わなかった。
せめて、居ない間は何も私がお膳立てをしなくてもギッチリやって欲しかったけれどね。
自分の親の事は嫁にしてほしいけれど、自分は嫁の親の事を自分がする
なんて考えていないんだもの。
まだ私には母がいる。
だからこそ、自分の親は自分でだよ。
あの時、私は父の事と義ママンの事、義ママンを見ることさえいい加減なくせに、
決めたこともちゃぶ台返しをするギジにいらだっていたし、そのことを毎回毎回LINEでぐちぐち言う義妹にも辟易していた。
愚痴を聞いてもらいたかったのかもしれないがそんな余裕はなかった。
それで「お互い、自分の親は自分でみましょう。」と義妹が言ったんだよ。
当たり前じゃないか。
私の父がもう助からない病気だということは義妹に知らせたし、私は毎週のように父のお見舞いや精神的に不安定な母に付き添うために泊まったりしていた。
自分のうちはお膳立てをしてね。
ハッキリ言って、義両親のことなんざ構っていられなかった。それでもこっちに戻ればやれお母さんが風邪みたいだから医者に行くとか、お母さんが熱があるとかとギジが言ってくるから対応しなければいけなかった。
でも、夫はなんもしてなかったもんね。
義ママンが不穏の時にギジから呼び出されて対応はしていたけれど。
(ギジは夫が来たら自分はテレビをみているだけで何もしないで知らん顔だったそうだ)
あの時って私はよくもまぁ倒れなかったと思うよ。
夫がギジとかかわって面倒を見るようになったのは義ママンが亡くなってからだな。
だからこそ、もう施設に行ってもらおうってなったわけだ。
もうね。私はギジのことなんて冗談じゃないよって気持ちなの。
ギジがサ高住に行ってからは
夫はギジのことはメインでやっている。
すごい進歩だけれど当たり前のことだ。
雪のことでなんだか色々と思い出してしまった。
さて、明日は夫はテレワークだそうだ。
雪かきは早起きしてやってねと、夕飯の時にでもお願いしておこう。
明日、娘は通所だけれど、雪が止まなかったらお休みで良いな。