戦いの野に花束を

介護?の話しや愚痴満載毒吐きの独り言 時々ハンクラ

疲れた 2

次の検査結果の説明の時は家族だけで聞きに行くと夫がギジに話した。

今度から検査は別の病院にするかと夫が聞いた時に

『お父さんは、どうしたいの?検査をまたしたい?』と、私が聞いた。

 

ギジは「お父さんはね、もうこれ以上悪くなることはないと思う。もうね、このままでいいよ。検査はもういいな。」

 

義妹に、ギジの注意事項のこと(大きな字でメモ書きしたこと)と、上記の事をLINEで伝えた。

勿論、検査結果次第だけれど。とも。

 

そうしたら、

 

「検査結果次第ですけれど、やはりお父さんも通院は辛いのでしょう。車椅子とか使えばよかったのに」

と。

 

ー いやいやいや。車椅子云々じゃないよ。

院内の移動も辛いだろうけれど、それだけではなくて、待っているのがしんどいんだよ。

 

『車椅子なら楽かと言っても、待っていることも辛いと思います。

たとえ車でも乗っていることが疲れるのだと思います。』と返事をしたら

 

「年齢を重ねると仕方ないのでしょうが、元気な人はいるけれどね。」

 

ー なんでそうなる。通院や待っていること、遠くまで出かけることがしんどかったり辛くなるのは仕方がないこと。

元気な人なんて一握り。そんな人の方が稀だろうに。

 

体力も気力もどんどんなくなってきて当然。だから、しんどくないように過ごせるように負担がないように、なのだよ。

ギジの負担以上の負担もこちらにかかるんだし。

義妹が、自分が行くのが負担じゃないならギジを説得して連れていけばいい。

私が行きますと言いつつ、何度か行くと、自分は行かれないとか足が痛いとか言うわけで。

それならギジの体力も考えようってことなのよ。

94にしちゃ元気な方だと思うけれどね。悔しいけれどさ。(だから厄介なのかもしれないし)

 

私はこうして、ギジと関われば、結局はあれこれとしてしまう。

見てらんないから。

それはそれで、自己嫌悪になるんだ。

なんでここまでやってるんだろうって。

 

だから、関わりたくないし付き添いもしたくない

今日なんてもう本当に疲労困憊だよ。

入院の時の方がマシだった。

 

入院の時はギジの世話を焼かなかったもんね。

ほぼ、傍観していた。

 

 

こうやってやってしまうから、あのまま隣にいたら結局手を出して、ギジにも夫にもロックオンされていたと思うけれどね。

 

車椅子なら歩かなくて済んでも、待つことは同じ。疲れることは変わらないんだよ。

元気な人でも病院で長い時間待つのは辛い。

広い病院を歩くことが辛くて行きたくないわけじゃない。

 

検査結果次第とは言ったけれど、

またこれで抗がん剤の治療と言われたときにどうするんだ。

 

あの距離を毎週なんて大変だよ。

 

検査結果次第でもし、悪かったら、それこそもう治療はしない方針がいいのではないかと思うけれどねぇ。

 

それだって、私は他人だからあれこれ言う権利はない。

医師だって、実子の意見を聞くものね。

 

一応、もう検査はしたくないという本人の気持ちは聞いたけれど。

 

こういう事も、本当は夫と義妹がギジに聞く事なんだけれど。聞きにくいのかな。